2011年 5月 15日 更新
山崎 規矩子
5月に台風が本土上陸するのは38年振りという台風第4号のニュースを聞きながら、5月31日正午過ぎ、名古屋ボストン美術館に到着。自他共に認める雨男S氏欠席の所為か、久米生光禰宜(牛毛神社)が宣はった日本ポストン会々員の熱意の所為か、台風の姿はなく、ボストンから参加の吉野耕一先生ご夫妻、関西から3名と東京からの参加者の合計21名、無事入館。
石堂勉事務局長のご挨拶に続き、井口特別展担当学芸員から公開されている「ポストンに愛された印象派」(Impressionism
in Boston) についてスライドを使っての解説があった。
ボストン美術館を初めて訪れた時“どうしてこんなに沢山のJeans F. Millet
や Claude Monetがあるのか”という驚きと疑間がこのレクチャーで解明された。1850年代にボストン出身の画家
William Morris Hunt が Millet に魅了され、弟子入りまでしてボストンの美術コレクターに
Millet の作晶を奨めた。80年以降には、Monet のアトリエ周辺にポストン出身の画家が集い、Monet
の展覧会が相次いでボストンで開かれ“レッドソックスを見るか、モネを見るか”というのが、当時のはやり言葉になる程ボストニアンを熱狂させた。この結果、今日では本国フランスが羨む程の作品がボストンにある。
このレクチャーの後は、同時開催の「根付」の説明があった。ボストン美術館の1,200点に上がる膨大なコレクションの中から96点が初公開。「根付」はポケットのない着物が主流の時代に印籠や巾着・煙草入れ等につけたアクセサリーだ。鏡を使って裏側や下側も大きくスライドに写され、思わず笑ってしまう物から気味の悪い物まで、題材も架空の生き物から動植物と多岐に亘り楽しめた。
展示室で懐かしの印象派の作晶と再会、こじんまりとした雰囲気の中でゆったりと堪能するまで鑑賞後、今晩のお宿の東京第一ホテル錦へ入る。
各自部屋で一息つく間もなく、4時にロビーに集合。イザ名古屋探検へ出発。隊長は名古屋を知り尽くしている男の内藤克巳部長殿(清水建設)。歩きながら名古屋自慢から姶まる。有名な1OOメートル道路、日本一の地下街(これは意外)、東京タワーより4年も早く日本初の民放テレビ塔、業界日本一の200社以上の会社数。一寸トーンが落ちて日本で3番目に緑の多い都市等、この目抜き通りの3大ホテルは当社の物件と、郷土愛と愛社精神に満ちた輝く横顔を見ながら才アシス21に到着。名古屋の新ランドマークは空中に浮かぶガラスの大屋根の水の宇宙船、ぐるっと巡って、閉館間近のノリタケの店へ滑り込み、台風一過の如く去った。
タ食は名古屋国際ホテル。料理も雰囲気も素晴らしかったが、その後の久米氏企画のミニコンサートが圧巻。内藤部長がご自慢の一つにつけ加えるのを忘れたかと思わせる美人5人のグループ。
ファゴットとピアノの独奏・協奏に加え、久米氏令嬢を含む3人のコーラスが続き、その美声とハーモニーに我がボストン会歌う会もタジタジの想い。“モーツアルトの百面相”を耳に至福の気分でホテルに帰り、阪神タイガースが勝って(ヤッタ!!)最高の一日となった。
翌朝、参加者12名で明治村へ。飯田喜四郎館長のお出迎えを受け“こんな大先生に”と藤盛紀明氏が恐縮。文明開花のロマン溢れる67棟の内、館長自らご案内下さった(予定外の行動とか)東松家、呉服座、西園寺邸、帝国ホテルが印象深かった。
東松家は油商から金融業と成功した豪商の家で、次々と建て増し4階建てという当時としては珍しい形で残す。茶室を2階に作った為、そこへ通じる部屋の真ん中に長板を敷いて敷石のイメージとし、茶室に座ると客人がそこを渡って茶室へ導かれる風情が粋な造りだ。水屋の水も階下の台所から井戸の要領で汲み上げる。雇い人が若い女性の場合は部屋を高い所に設け、寝る時には梯子を上げて身を守るとか雇い主の愛情が感じられた。
呉服座では奈落やセリ、楽屋を見学、西園寺邸では洋館から庭に出ると海を眺望する立地条件に加え、歩けばキィキィなる板の廊下や浴室、女中部屋からの脱出口等、外部からの侵入者に対しての警戒を怠らない造りに納得。
帝国ホテルは日本古来の建物にアイデアを取り、大谷石をふんだんに使った建物、2階に1905年にポーツマス条約が調印された時に使われたテーブルが置かれ、ボストンとの接点を見た思いだった。
村内にはSLや京都市電、馬車、レトロなバスが走り、館長さんの説明後は、それぞれの体力と気力に合わせての自由行動。アイスクリームに大満足で一服する人や、市電に乗って燈台まで行った人など私達ポストン会が誇る健脚カッブルは皆様のご期待に沿うべく、村内を隈なく廻り、帰りはぐったりの車中の人となった。
(撮影:内藤克巳さん)