2016年 5月31日

 神奈川県立近代美術館 葉山館で開催中の特別展「近代洋画・もうひとつの正統 原田直次郎」および「明治の美術・コレクション展」を平成28512日に鑑賞した。参加メンバーは敬称略・順不同で山口靜一と教え子(特別参加の匿名氏)、俣野夫妻、小野田勝洋、森裕子、篠崎夫妻、酒井夫妻、三好夫妻の計12 名であった。

 当日早朝に川崎の変電所で事故があって停電となりJRが広域にわたり止ってしまった。このために出席予定だったが参加できなくなった会員が居られる、お気の毒であった。電車が徐々に動き出して予定の集合時間を30分ばかり超過して顔ぶれが揃った。こういう不測の事態に備えて緊急連絡できるようにしておかねばとならないと実感した。このところ大きな自然災害が続いていて(忘れないうちに次々にやって来る天災!)、問題とは思いつつ実践できないでいることを反省した。

 事故の影響が美術館に向かうバスにも及んだ。着いた電車から大勢の人が乗り込んで通勤電車以上の混みようであった。乗れなかった者はタクシーで追いかけた。着くとすぐに館内のレストランで昼食を摂った、レストラン長い待ち行列できていたが電車の事故で予約を30分延ばしてもらっていた。好天に恵まれて海はあくまでも青く、背後には小山を背負った風光の明媚さが食事の味を一層引き立てた。
 神奈川県立近代美術館 葉山館    

 昨年は芸大美術館でダブルインパクト展を鑑賞した。これは日本画西洋美術から受けたインパクトと西欧が日本美術から受けたインパクトを併せてダブルインパクトと言う展示であった。端的に言えば岡倉天心一派が西洋の影響を踏まえつつ日本画の復興を狙ったことが裏のテーマであった。葉山館の展示は日本が取り組んだ西洋画であったからダブルインパクトの一面である。

 山口会員が展示されている画家を解説する資料を用意してくださった。それを見ながら明治初期の洋画を楽しんだ。

 入館すると「明治の美術・コレクション展」のコーナーであった。維新直後に来日し我が国の洋画の立ち上げに大きな影響を与えたのはイギリスのチャールズ・ワーグマンであり、高橋由一や五姓田由松を育てた。その次代を背負ったのはフォンタネージの指導を受けた浅井忠や松岡壽であった、天心一派に対抗して洋画を前進させた。

 ついで自らイタリアやフランスに留学して最先端の洋画の流れを学び取る時代になった。代表的な画家の一人が黒田清輝である。黒田は日本画だけの東京美術学校に西洋画科を併設させて若手洋画家を育てあげた。明治末期になると坂本繁二郎や青木繁などが新たな画風を編み出し、大正ロマンへの道を切り開いた。

日本ボストン会 The Boston Association of Japan

三好 彰

神奈川県立近代美術館 葉山館見学記

 流れに沿うように特別展「近代洋画・もうひとつの正統 原田直次郎」のコーナーに移った。原田の特別展は没後程なくにドイツでの留学仲間だった森鴎外が開催して以来100余年振りという。コーナーに入るとまず目に飛び込んでくるのが重要文化財の「騎龍観音」である。そして壁いっぱいに書かれた「若し明治の油画が一の歴史をなすに足るものであるならば、原田の如きは、必ずや特筆して伝うべきであるだろう」という鴎外の言葉もずしりと重く伝わる。留学中の作品、恩師の作品、画家仲間や弟子たちの作品など全体で200点を越えるという。

 しおさい公園は一色浜につながっており、その先に葉山の御用邸がある。潮風が新緑を揺らした先に青空が穏やかに広がっていた。

 帰路についた、やってきたバスは空いていて全員座れたが、停車場毎に次々に乗客が増えて超満員になった。

 逗子に帰り着いた。勧められるままに駅のそばの鮮魚店で買い物をした。とても新鮮な魚であり、日頃近くのスーパーで買うのとまるで違う美味しさであった。景色も良い、食べ物もおいしいから逗子に住みたいという人が居た。電車のトラブルは大変だったが、結果オーライの一日であった。

 ミュンヘンのノイエ・ピナコテーク(新絵画館)に二人して行ったと書かれた鴎外の日記の一節が紹介してあった。留学先での若い二人の写真もあって元気そうに見えるが帰国して12年後に36歳で原田は他界した。大作を残したとはいえ余りにも若かった。

日本ボストン会 The Boston Association of Japan

 美術鑑賞を終えて隣接のしおさい公園で休憩した。園内に博物館があって近くの古墳の遺物や海産物の標本が展示されていた。地下に降りるエレーベータでB1のボタンを押したら匿名氏は「降りると海辺だ」という、怪訝な顔をしたら「B1=ビーイチ」という。教え子氏は若いころからダジャレが得意なのだそうだ。そのB1に昭和天皇が寄贈された 標本のコーナーがあった。小学唱歌の一節「天皇陛下ノタメナラバ」を歌いだした人が居る。