2018年 6月12日更新

 しゃれたお料理を楽しんでいるうちに天気予報通り雨が降ってきた。しかも強い雨だった。それでここで解散とした。二条城に向ったのはほぼ半数であった。
 思いがけず雨は早めに上がった。二条城は修学旅行生でにぎわっていた。場内に大政奉還の様子が実物大の人形を配して再現されていた。私事であるが筆者の曾祖父は幕臣であり、このとき二条城の勤番であった。この場に居たし、その後戊辰戦争となり会津から箱館まで敗戦を嘗め続けた。他人事で無い思いで見た。
 なお連泊した人は奈良在住会員・吉田礼子さんのお勧めで仙洞御所と東本願寺渉成園に足を延ばして京の休日の余得とした。
 離宮の参観予約の段階から京都在住会員・ジャメンツご夫妻に種々お世話になりました。擱筆に当たり感謝いたします。

 参加者(順不同、敬称略)

 マイケル・ジャメンツ(31日のみ) ジャメンツ登三子 
 藤盛紀明 藤盛冨美子 吉野耕一 吉野静子 山口靜一 幸野眞士
 今脇資郎 今脇順子 小野田勝洋 小野田富子 篠崎史郎 篠崎和子
 酒井一郎 酒井典子 三好彰 三好美智子

日本ボストン会 The Boston Association of Japan

 修学院離宮は後水尾上皇の山荘として17世紀半ばに造営されたもので総面積は54.5万平米(甲子園球場14個分、東京ドーム11個半分)。この中に3つの離宮(下離宮、中離宮、上離宮)がある。それぞれの建物、内装、そして庭に創意工夫があり、はるかに見える京の街も景色の中に溶け込んで見えた。山道を下り終えると舟遊びのための池に出た。参観の最終コースらしい平坦な道で心が和んだ。

京都旅行記

 昨年の総会の席で京都の離宮を見に行こうという話が出た。畏れ多いことだがその少し前にあった今上陛下のお言葉は多くの国民に好意的に受け止められていた。また明けて今年は明治維新から150年目という節目の年である。このタイミングで江戸時代に作られた皇室ゆかりの桂離宮と修学院離宮を見て、大政奉還の宣せされた二条城を廻るのも一興と考えた。
 参観日は希望者の多い530日と31日となり、関東地区からの参加者は16名となった(参加者は文末に記す)。移動の容易性から初日に修学院離宮、二日目に桂離宮と二条城とした。宮内庁京都事務所と連絡をとり、その指示に沿って幹事団で手分けして参観の申し込みをした。また京都在住会員のジャメンツ夫妻は別途手続された。幸い全員に参観の許可が得られた。しかし人数の関係で同一時間帯での見学はかなわなかった。

 530日となった。修学院離宮は開始時間が午前11時、午後1時半、そして午後3時の3グループに分かれての参観であった。いずれの時間帯もあいにくの雨であった。しかし小降りだったので歩くのに支障は無かったし、気温が下がったおかげで歩きよかった。

日本ボストン会 The Boston Association of Japan

 京都在住会員ジャメンツご夫妻が見つけてくださった二条城そばの京料理店で昼食を摂った。我が会でお店を借り切った。

 修学院離宮、桂離宮とほぼ同時期に造営された日光東照宮との建築比較論があり、どれが良いかという。明日行く桂離宮への宿題となり、楽しみともなった。
 この場で山口会員から名古屋ボストン美術館が契約満了で今夏で閉館するとの話を伺った。山口会員は同館の第3代館長であった。これまでに我が会で何度か訪問したことがあり感慨深いものがある。

 夕食を宿泊先の新都ホテル内のレストランで摂った。京野菜の老舗の姉妹店であり、季節の野菜を目でも愛でつつ味わった。山道を歩き終えた心地よさもあって咽喉を潤すと歓談に花が咲いた。大きな個室だったので周りに気兼ねしないでよかった。

三好 彰

531日の朝は曇天であった。桂離宮の参観は午前9時開始と10時開始の2つのグループに分かれた。桂離宮は修学院離宮より半世紀ばかり前、つまり17世紀初頭に後陽成天皇の弟・八条宮智仁親王によって宮家の別荘として造営された。総面積は69千平米。
 複雑な形の池を廻る回遊式庭園であり、池の周りに数寄屋風の建物が配置されている。
 歩きよいとは言えない坂道を上り下りする。夜来の雨に濡れた自然石や切石の石段を注意しつつ踏み進んだ。昨夜の宿題に答を出せぬまま参観を終えた。

 建物ばかりでなく大きな池や滝もあって大工事だったわけである。往時の技術レベルの高さが伝わってきた。曇天の空が東山連峰の山麓を包み込んで修学院離宮と自然との調和が一層深まっているのを感じつつ参観を終えた。