The Boston Association of Japan
日本ボストン会
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高尾山ハイキング                  

                              生田英機

 11月23日朝9時、縁日並みの人出で賑わう京王線高尾山口広場に集合した面子は、今日のリーダーの幸野さん、土居夫妻、最熟年の俣野夫妻、當間旦那、山崎夫妻、小生(生田)の9名。

 参加者を知らぬまま電車を乗り継いだ小生が、途上で会ったのが土居夫妻。奥さんは赤色のユニクロのフリース。ご夫婦で赤色好みの記憶あり。小生がユニクロパンツを仕入れたのは土居さんのアドバイスがきっかけであった。奥さんは野山の花に詳しい。しかし、今回は野菊以外には出会えず、その薀蓄を楽しめなかったのが残念。

 今日のコースは高尾山口、ケーブルカー清滝駅の右脇舗装道路を始発に、途中“女坂”、高尾山薬王院経由、海抜600メートルの山頂まで約100分。下りはもみじ台、一丁平経由の稲荷山ルート。途中に少し急勾配の箇所もあったが無難に歩ける短時間物。

 出発に先立ち、人込みの端スペースを利用して全員ストレッチ体操。これはリーダー幸野さんの提案。基本に忠実。彼は歩きの専門家である。東京歩こう会を初め、各種の歩き仲間と一緒に毎日のように各所に出かけているとか。リーダシップは最後まで健在で、軍団の後になり先になりしながら皆に気を使っておられた。一丁平付近の少々キツイ下り道では、旦那に代わって俣野夫人の手を取っておられた。なかなかやる。名幹事に出会えて、この会が更に発展的に継続する予感。

 天気は一日中曇天、途中局所雨模様。いつも晴れ女を自称し、その実績がある女性群が欠席であったので仕方なし。肌寒い曇天下では、休んでいると寒さが足元から上がってきた。一丁平での昼飯時、隣のパーテイーが楽しんでいた熱々カップラーメンが気になった。皆が手作り、コンビニ仕入れのおにぎりを食べている途中、海外生活経験豊かな山崎夫人の日米比較の弁あり。「日本の主食であるご飯の握り飯。これ、英語ではメインデイッシュ。何かさみしい」。さて、主食はメインデイッシュの訳語に相応しいだろうか。あづまやの中での食事中も降ったり止んだりしたその雨は“時雨の子供”のような糠雨。丸谷才一氏の小作品にある“横時雨(Rain with the wind)”にでも出会っていたら、中止になっていただろう。今回参加の3女性合わせてのせめてもの天気念力のお陰あった。

 休憩しばしの後、雨の中を帰路につく。それにしても、俣野夫妻、土居夫妻は仲がいい。歩き始めから下山後の“茶と饅頭”の小休止までの会話、態度は、夫婦のモデルとして全国講演行脚されるに相応しいのではないか。今回は一人参加の當間旦那は黙々、飄々として自然を満喫されていた。後姿に仏僧のオーラあり。今回、多分初参加の山崎夫妻は“元気印夫婦”。その歩く早さは脱兎のごとし。下り坂でも同じこと。流れ解散になって、残りの7人が朝の出発点にたどり着いた時にはすでに車中の人になられていたようだ。途中で尋ねると、曰く「ゆっくり歩くとかえって疲れるのよ」という返事。他方、小生は初めからゆっくりリズムを決め込んだ。

 今回、盛りを過ぎた木々の紅葉鑑賞は諦めてもっぱら落ち葉探しを試みた。カエデ、モミジ、ケヤキ、カシワ、クヌギ、コナラ、そして大きなホオノキも確認できた。不思議とブナは見当たらない。それに木の実は、大きなホオノ実は勿論、クヌギドングリに至るまで、既に鳥や動物の冬支度に供された後であった。

 山頂途中に沢山の句碑が立っていて、これもまた楽しめた。その中の一句にこんなのがあった。

   白日は 我が魂なりし 落ち葉かな 

 この句を黙読していた時顔に当たった落ち葉があったが、後でひりひり痛かった。白日ならぬ曇天下の風に流されて、思わぬ重力を持った落ち葉であったようだ。

 下山を終えて茶店で休憩。午後2時過ぎに解散。今夜は風呂が楽しみだ。 

下山後、和菓子屋有喜堂で

山頂付近で

山頂付近で

山頂で

一丁平で

高尾山口から出発

写真:
ハイキングの会幹事 土居陽夫

下山後、和菓子屋有喜堂で
山頂付近で
一丁平で
高尾山口から出発
山頂付近で