2006年12月22日

日本ボストン会 The Boston Association of Japan

会長 佐々木浩二

ボストン日本人学生会

 日本人学生会の会合記録は井口前会長から引き継いだ調査研究課題です。私が本年4月にMITを訪問した折にIndustrial Liaison Program日本事務所長を兼務するCarl Atardo氏や同窓会、また現地「ボストン日本人会」他にも問い合わせてみました。私のMIT登録アカウントを利用して、ウェブサイトで昔の留学生の記録も調べてみました。三好彰幹事には膨大な時間を費やして調査・整理に取り組んでいただいており、その成果をご紹介します。

 ボストンおよびその近郊での日本人の勉学の歴史はジョン万次郎から新島嚢を経て、明治期の官界、学会、産業界で大きな足跡を残した金子竪太郎、小村寿太郎、伊澤修二、團琢磨などに引き継がれて行きましたが、明治期の半ば以降では留学生が増え、自然発生的に日本人学生が親睦会を学内に持つようになりました。その当時からのことを記録した4巻からなる「ボストン日本人学生会」の記録集を現在日本ボストン会が保管しています。

 大正中期からYMCAを中心としたキリスト教関係者が会を司るようになりますが、当時、西海岸で巻き起こっていた排日運動と無縁ではなかったと思われます。昭和に入って活動が低下するのは日本軍の大陸侵攻もあって留学生の数が減ったことが挙げられ、記録集は昭和9年の新年会の記事で切れています。太平洋戦争が始まって留学生は帰国を迫られ、この記録集はボストンに残されたままになるのですが、戦後に留学した女子学生が記録集を見つけ出し、昭和9年の新年会の次のぺ一ジから戦後の記録が書き続けられているのです。その中のボストン・マラソンの記事では、当会の会員でもある山田敬蔵氏が当時の世界記録で優勝しています。留学生が多くなるにつれ、学外にわたる親睦会の活動が難しくなったためでしょうか、この記録集の記事は昭和28学年度で終わっています。記録集に出てくる日本人学生と学生を支えた日系人は600人を超え、また学生を支援したアメリカ人が約200人います。

 種々の情報源から日本人(日系人も)については約6割の方々、アメリカ人にっいては約4割の方々について、何らかの情報は得られていますが、まだまだ全貌が掘めるほどに至っていません。本会のホームページでこの記録集に登場する方々を紹介していますので、ご覧いただき、お気づきの点をご連絡いただければ幸いです。

                (日本ボストン会会報第28号平成18年10月10日発行から転載)
日本ボストン会 The Boston Association of Japan