2011年 1月 6日更新

日本ボストン会 The Boston Association of Japan

 明治になり陸奥宗光の屋敷となっていた。彼は日清戦争(189495)の時に外相として活躍した。古河財閥創始者古河市兵衛は支援者で、陸奥の死(1897)後この土地を譲り受け、陸奥の次男潤吉を養子に貰い、鹿鳴館を設計したイギリスの建築家ジョサイア・コンドルが洋館と洋風庭園を設計し、大正31914)年に着工、同61917)年に竣工した。英国貴族の邸宅にならって天然スレート葺きのレンガ造り、外側は伊豆真鶴産の赤みを帯びた小松石で覆われている。
 この建物には全館暖房の配管がなされ,1階には来客用の洋室として大理石造りのマントルピースが設けられ、サンルーム、談話室、会議にも使用される広間、食堂とこれに隣接して調理場が設けられている。2階には当主家族の和室の居住区を構え、お湯はボイラーから2階に作られた風呂に汲み上げられ、客を泊める一部屋と家族の寝室・居間・子供部屋、そして仏壇までが作られている。二階から眺める景色は武蔵野の高台にあるだけに洋式庭園と言い、富士山・丹澤から秩父への遠景はすばらしいものがある。ただ当主が住んだのは大正年間だけで、あとは他に居を移されたと聞いた。 暖房も石炭ボイラーを2日間焚ないときかないとのことで、利用具合に不便があったと推察される。

戦前は古河財閥のクラブとして使用されて、折々の庭の風情が活かされていた。戦後は進駐軍に接収され、英国将校宿舎として利用されたが、現在は国の所有となり、テラス式庭園と洋館は、それぞれ別の管理者が管理に、あたっている。(庭園:東京都公園協会 文化財庭園チーム、03-3910-0394)

 本郷通りに面した入口の左手に管理事務所がある。入園料(一般150円、65歳以上は70円)を支払って中にはいる。石造りの洋館 (大谷美術館)が馬車道の前方左手に見えるが、まず先に3万平方メートルの邸内をゆっくり散策するように作られていた。邸宅は入口(現在)から裏門(昔の正門)まで馬車道が屋敷の回りを半周する形で作られており、入るとすぐ左手に綺麗な芝生の庭がある。その入り口から芝生に沿った道を左に歩くと、道は二手に分かれ、右の少し険しい自然石で築かれた小道を辿るが、思ったより険しく、高尾山の下り道を想い起こすほどであった。崩石積みを左手に、大滝を右手に眺めて茶室脇を下ると心字池に達する。

日本ボストン会 The Boston Association of Japan
 前日からの天気予報では、当日は曇り、午後から雨になるとのことであった。東京メトロの南北線「西ヶ原」駅から駒込方面に本郷通りを約分歩くと、右側に旧古河庭園の入口に到達する。集合時間は午後時半、当会会員19名がほぼ時間通りに集まってきた。組の夫妻参加(藤盛、酒井、吉田、三好、俣野、関)と個人参加7人(吉野先生、生田、幸野、鶴夫人、法眼夫人、篠崎夫人、水野)の面々であった。
 

池に沿って歩く。左手を見上げると見晴台と十五層石塔が目に入ってくる。その下に山水の景観を表現すると言われる水のない枯滝があり、右手には大きな雪見灯篭が池畔に置かれている。道なりに歩くと周囲の紅葉が綺麗であり、池を半周する。この和風庭園は京都の著名な庭師、小川治兵衛の手になるものである。道が交差する角で、左手にあるツツジの間の急な小道を登ると、突然、石造り洋館(大谷美術館)が正面に聳える洋風庭園に辿り着く。テラス式に作られた庭園は見事で、もしバラが満開であれば、すばらしい光景を満喫できる風情であった。

 石造り洋館(大谷美術館*)内部の参観は予約制で、我々は午後230分から約1時間、玄関で入場料を支払い、靴をスリッパに履き替え、身の回りのバッグなどは管理者に預けて入館し、ゆっくりと解説付きで館内を見ることができた。ほぼ1時間をかけて見て回ったが、古河家三代目御曹司の古河虎之が薩摩の西郷家から嫁を貰った新居が、大正初期の庭園の原型を留める存在として旧古河庭園と旧古河邸本館が国の名勝として平成18年に指定された。(*03-3910-8440ここは江戸時代には牡丹園として知られていた。

第6回 紅葉狩りの会 (2009年)

                     俣野 善彦