The Boston Association of Japan

「さくら」

                          水野 賀弥乃
日本ボストン会
−
−

2011年 1月 16日更新

 今年の桜はあっという間に列島を駆け上った。平成14年3月31日日曜日、千鳥ヶ淵。急遽1週間繰り上げられた日本ボストン会恒例のお花見大会であったが、正直に申せば、お花にはあまり期待せず、久しぶりに会員の皆様にお目に掛かれることだけを楽しみ出かけたのである。しかし、それは全くの嬉しい期待外れであった。なぜならば、ほとんど花が終わってしまった桜の底力と言えるだろうか、思いがけずにその素晴らしさに出逢うことができたからだ。

 少々寂しげな桜の大木を眺めながら、いつものようにそぞろ歩きをしていた私達は、千鳥ヶ淵をぐるりと巡り、さてそろそろ宴の席へと心が向きかけたその時、ふと、光に照らし出された老木に足を止めて仰ぎ見た。瞬間、私達は時を忘れた。薄墨の空に淡き紅色の寂しげな花枝を茂らせた樹々が一斉に花の舞いを見せてくれたのである。私達は一体何分間そこに立ち尽くし、なんと優雅な自然の恵みを、私達の髪に肩に全身に浴び戴いたであろうか。それは、この世のものとは思われない、まさに幻想的な時空だった。最後の最後までそこはかとなく、清楚な華やぎに満ち溢れた桜花は、この世の空間を豊かに舞いながら別れを告げて地に還ってゆく。幽そけき花のひとひら毎に桜の精の宿るが如く、その花の舞い逝く中で、私達は自然の恵みを、温かさを戴いたのである。そして次々に芽吹く若葉の新鮮さと相俟って、桜の精気は我々に新たなエネルギーを惜しみなく与えてくれた。寂しげに花の残る樹々に、こんなにも私達を魅惑し、圧倒する力があるとは、全く思いも寄らない事であった。

 思えば桜の老樹は、人々の愛情をその花にだけ手向けさせ、自らは黙ってひっそりと何百年も生きている。大地にしっかりと根づき、地球の栄養をたっぷり含んだ樹木はそのどっしりとした力強さを無言で、しかもこんな風雅な優しい態で私達に分け与えてくれている。こんなにも美しく生きることのできる桜の樹に畏敬の念すら抱く。その昔、桜の精が舞台に舞う様子「西行桜」を編み出した禅竹氏信*(ぜんちくうじのぶ)も、今宵の私達と同じように、桜の樹の精に包まれた経験をしたのであろうか。日本人は永劫の彼方よりこの桜の精と出遇い続けて、その無言の力強さと一瞬の華やぎに魅せられ続けているのだろう。「さくら」の花、花弁を恵みのように与える老樹から、私達日本人はどんなに限りない力を与えられてきたことだろうか。

 花の余韻はいつまでも私たちを包み、宴の席へと誘ってくれた。藤盛様御夫妻のお心尽くしの宴では、桜を愛でる日本人の歴史を改めて知る機会に恵まれた。今年は新たに太田様御夫妻と国友様御夫妻をお迎えして和やかに語らいの時が流れていった。ふと気付くと、窓の外はしとどの雨。あたかも今年の桜が別れを告げるが如く窓を濡らしていた。来年の春、また千鳥ヶ淵でお会い致しましょう。来年は桜の精の宿る花弁を酒杯に浮かべて頂きましょう、少しでも、貴樹(あなた)の静かな力強さを頂けるように。この素晴らしい時を共に過ごさせて頂いた日本ボストン会の皆様に、再会を祈念しつつ、心からの感謝を申し上げたい。


お花見の会のページに戻る >>
さくら
トップページに戻る
                                                                          
日本ボストン会
トップページに戻る
トップページに戻る

これは会報第20号に掲載された文章の初稿です。

*一説に世阿弥説あり