The Boston Association of Japan
日本ボストン会
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2011年 5月 15日 更新

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旅行記・北海道ツアー

                    歴史を飲もう会 篠崎史朗

 北海道の歴史といえばクラーク博士に札幌の時計台、と平均的な日本時は考える。彼が札幌を去る際に残した“Boys be ambitious”の言葉は、時代を超えて、余りにも有名である。確かに、明治維新この方、これ程日本人の魂を揺さぶり、鼓舞し続けた言辞は他に見当たらないといってよい。

 しかし歴史年表によれば、彼の北海道滞在は1876年(明治9年)7月から翌年4月中旬迄の約8ヶ月という短い期間であり、かの有名な言葉も、別れに際し札幌農学校の学生にいい残した一言でしかないともいえるのだが、何故彼の名がかくまで日本人の心に刻み込まれることになったのか。

 日本と米国ニューイングランドの交流史に関心を抱く当会の歴史同好会としては、この点を些か学習してみたいと以前から思い続けてきた。今般北海道・マサチューセッツ協会(以下HOMASと表示する)の全面的なご協力を得て、札幌訪問旅行として実現することが出来た。又滞在中、HOMAS会員の方々との交歓も行い、旅行をより意義深いものにすることが出来た。先ずは、旅行準備・受入れにご尽力頂いた関係諸氏に厚く御礼を申し上げたい。

(1) 旧島松駅逓所〜羊ヶ丘展望台


 7月の北海道は、うっとうしい梅雨の本州とは異なりさわやかで、例年最適な旅行シーズンなのが、今年は気候のサイクルが異常なのか、早々に台風の余波を心配する羽目となった。しかし、7月13日は青空が覗き、14日も小雨こそぱらついたものの支障なく、両日に亙り恙りなく旅程を消化出来たのは幸いであった。

 13日(土曜日)の午前11時、参加者20名が新千歳空港到着ロビーに集合し、全旅行中お世話頂くHOMAS中垣正史事務局長の先導で、チャーターバスに乗って行動開始。行く先は早速クラーク博士ゆかりの「旧島松駅逓所」(現北広島市島松)。

 駅逓とは人馬の往来に便宜を供するための宿駅のことで、古くから道内各所に存在したが、島松駅逓は明治に入って開通した函館・札幌間馬車道の駅逓として設けられたものである。現代の高速自動車道のサービスエリアと思えばよい。

 1877年(明治10年)4月16日、帰国するクラーク博士が、札幌から同行してきた札幌農学校の生徒に向かい、“青年よ大志を抱け”の一言を発して馬上の人となったのはまさにこの駅逓所であった。現在敷地のなかにその記念碑が立っている。

 現存する建物は管理者だった中山久蔵の個人の住居でもあったようだ。中山は、気候厳しいこの地で稲作技術を開発し、石狩水田の祖と言われる人物である。彼の努力と工夫の跡が建物脇横手に残る水田跡に残っている。北海道のような寒冷地でも米が作れるようになったのは彼の功績に負っている。

 このような「旧島松駅逓所」は道内でも屈指の重要史跡の筈であるが、その割には知名度が低いのか、シーズンにもかかわらず、この日見学者の姿は少なかった。気のせいか、クラーク博士の記念碑も片隅でぽつねんと淋しそうに見えた。一行のバスはこの後札幌へ。

 昼食後に訪れた「羊ヶ丘展望台」は、島松に較べてぐっと現代的で、さすが札幌を代表する観光スポットである。丘の上から市の町並みや、先頃サッカーW杯の会場にもなった札幌ドームを望む景観が素晴らしい。1959年(昭和34年)、国の農業試験場の一角を観光用展望台に転用し、その後幾つかの施設が追加され、現代に至っている。

 ここのクラーク博士の立像は堂々として立派である。北大創立100年・米国建国200年を記念して1976年(昭和51年)建立されたが、この年は博士生誕150年にも当たっている。偶然とはいえ、面白い周年の一致で、彼の功績を顕彰する最適のタイミングだったのだろう。石狩平野に向いて右手を挙げ、指さす先は何なのか、この世の理想か、人のあるべき姿か。その詮索はさて措き、この像と、黄芥子畑の向こうに午後の陽光を浴びて光るドームを眺めた時は、あたかも北海道の過去と現在を一枚のレンズを通して見る気分になった。

 人目を引いたのが「さっぽろ雪祭り資料館」の松原館長。山高帽子にフロックコートという出で立ちで、観光客相手に紙芝居を演ずる。演目の中心はやっぱりクラーク博士のようであるが、クイズを交え、子供にもわかるような語り口はきっと受けるだろう。館長になる以前から永年、週一回の定休日を除き、天候の許す限り一日二回演ずるとのことだが、珍しい館長さんがいるものである。(続く)


(2) クラーク博士と札幌農学校 >>

この記事は、会報第20号に掲載された文章に、(1)〜(5) の各見出し、写真、関連するホームページへのリンクを、著者の了解を得て付け加えたものです。
 

旧島松駅逓所
羊ヶ丘展望台のクラーク像

旧島松駅逓所

羊ヶ丘展望台のクラーク像と松原さっぽろ雪祭り資料館長