2020年 4月 18日更新
■神奈川県立近代美術館 葉山館見学記
2016年 5月 12日(木) 担当幹事 三好 彰
神奈川県立近代美術館 葉山館で開催中の特別展「近代洋画・もうひとつの正統 原田直次郎」および「明治の美術・コレクション展」を平成28年5月12日に鑑賞した。参加メンバーは敬称略・順不同で山口靜一と教え子(特別参加の匿名氏)、俣野夫妻、小野田勝洋、森裕子、篠崎夫妻、酒井夫妻、三好夫妻の計12 名であった。
当日早朝に川崎の変電所で事故があって停電となりJRが広域にわたり止ってしまった。このために出席予定だったが参加できなくなった会員が居られる、お気の毒であった。電車が徐々に動き出して予定の集合時間を30分ばかり超過して顔ぶれが揃った。>>
美術と歴史の会
2003年9月3日
マリー・ローランサン回顧展鑑賞会
韻松亭(上野公園内)前にて2015年5月
■「ダブルインパクト展」の鑑賞
2015年 5月 13日(水) 担当幹事 三好 彰
東京芸術大学の大学美術館で開催された「ダブル・インパクト展」を5月13
日に鑑賞した。参加したのは山口、吉野夫妻、藤盛夫妻、篠崎、酒井夫妻、
吉田夫妻、棚橋、森夫妻、三好夫妻の15名(敬称略、順不同)であった。
10時開館を待って一番乗りで入場した。
して開国を迫ったのが黒船でやった来たアメリカのペリー艦隊であった。
国内で尊王攘夷の大論争があったが結局開国した。江戸幕府は崩壊し、
王政復古の明治政府が誕生した。>>
三好 彰 『ダブルインパクト展」の鑑賞
■ 三菱1号美術館鑑賞会〜
2013年 4月 25日(木) 美術と歴史の会 酒井 典子
4月25日(木)三菱1号美術館(東京 丸の内)で開催された”奇跡のクラークコレクション展”を日本ボストン会メンバー11人(篠崎氏、関夫人、藤盛夫妻、俣野夫妻、三好夫妻、小野田氏、酒井)と鑑賞しました。
Willams Town(Mass)にある1950年代に建てられた白い大理石造りのSterling and Francine Clark Art Institute から73作品(内、 59作品 初来日)が展示された。中でも1875年から1900年のルノアール作品22点それぞれの絵の前にはひとだかりができていた。 1990年10月中旬に彼の地を訪れ、くれない色、黄色に染まる美しい町、美しい美術館に目も心も奪われました。今回の展覧会はNEW ENGLAND の風景をも思い起こさせてくれる充実したひとときでもありました。絵を鑑賞した後、近くの "MS Pゴシック";color:black'>レストランでランチを楽しみ、ゆっくりした後、目の前の郵便本局6階キッテ庭園からの新東京駅を眺めました。
■ 静嘉堂文庫美術館訪問記〜
2012年 11月17日(日) 幹事 篠崎 史郎
11月17日(日)、三菱の創業者岩崎家縁の静嘉堂文庫美術館を訪れ、美術館開館20周年記念の企画展”受け継がれる東洋の至宝パートU 岩崎弥之助のまなざし"を鑑賞し、東京芸術大学佐藤道信氏の記念講演 「明治の美術パトロン」を拝聴した。
講演は主として明治政府による法制面での伝統美術工芸品保護策の解説であったが、フェノロサ・ビゲロウにも言及し、二人の肖像写真を大きく写し出し、”彼らの手によりボストンに渡った美術工芸品は、そこでの素晴しい保存環境に、さぞかし満足していることだろう“とのコメントがあった。参加者は11名。(尚、静嘉堂へは田園都市線二子玉川駅より東コーチバスで「静嘉堂文庫」下車)
■ 国立西洋美術館の建築見学会〜
2010年11月6日(土)
このところ美術の会と歴史を飲もう会は共同で活動しているが、今回は世界遺産への登録を目差している国立西洋美術館の建物(本館)の見学を行った。歴史的な建造物である美術館の見学というわけである。快晴の2010年11月6日に17人の会員が参加した。
三好 彰 『国立西洋美術館の建築見学会』
■ 河鍋暁斎藤記念館の見学会〜
2011年 5月21日(土) 幹事 三好 彰
5月21日(土)に埼玉県川口市にある河鍋暁斎記念館を見学した。会報に「フェノロサ、ビゲロウと三井寺法明院」 を連載中の山口静一会員は河鍋暁斎の研究家でもあり、2007年 の法明院参詣のように山口会員に案内いただけるのが見学のきっかけであった。参加者は会員の関直彦・尚子ご夫妻と棚橋征一氏、美術と歴史の会の幹事である酒井一郎氏と三好美智子・彰のほかに、三好の友人の福田久子さんであった。
三好 彰 『河鍋暁斎藤記念館の見学会』
■ 茂木本家美術館訪問ともの知りしょうゆ館見学会〜
2009年 4月26日(日)
4月26日は前日とは打って変わって暖かく晴れ渡り、総勢26名が午前10時半に東武野田線の野田市駅に集った。酒井幹事の先導で駅から10分ほど歩き、茂木本家美術館(MOMOA)に着いた。MOMOAではボストン会元会長であり、本日の見学会を快諾していただいた茂木賢三郎氏が、奥様であり館長の茂木瓊子様とともに出迎えてくださった。
岡崎 宏 『茂木本家美術館訪問ともの知りしょうゆ館見学会』
■ 鎌倉大谷記念美術館・極楽寺・成就院訪問記〜
2008年 6月14日(土)
6月14日(土)午前10時、JR鎌倉駅西口に掲題の開催で、生田、小野田、三好諸氏並びに篠崎、藤盛、俣野、酒井の夫妻の計11名が集まった。
早速、鎌倉大谷記念美術に向かった。
酒井 一郎 『鎌倉大谷記念美術館・極楽寺・成就院訪問記』
■ 大津一湖都の路 〜新緑の古社寺めぐり〜
2007年5月24日(木)〜25日(金)
昨年の総会の会話の中から、“歴史を飲もう会”、“美術の会”の幹事の間で、予てから拷ち越しになっていた琵琶湖周辺の社寺の訪問・鑑賞を合同開催でやろうということになりました。
酒井一郎 『大津一湖都の路 〜新緑の古社寺めぐり〜』
■ 国立西洋美術館常設展鑑賞 2006年10月21日(土)
秋晴れの午後、参加者8人(酒井幹事夫妻、俣野夫妻、山崎夫妻、篠崎さん、西川さん)が、JR上野駅(公園口)前の国立西洋美術館の前庭にあるロダン作“地獄の門”前に集まって秋の美術の会の行事“国立西洋美術館の常設展を鑑賞する”を始めました。
三好美智子『国立西洋美術館の常設展を鑑賞する』
■江戸情緒を尋ね日本橋界隈を歩く 2006年12月9日(土)
日本橋の橋名の起源には、諸説ある中で、「この橋の川下には江戸橋があり、又京都に向かった銀座口には京橋があったので、江戸でも京都でもない日本の中心の橋と言うところから生まれた呼称だ」との説に最も説得力があるよう思える。現在、橋畔に立った記念碑も「徳川盛時二於ケル本橋付近ハ富賈豪商ヲ連ネ魚市アリ酒庫アリ雑閙沸クガ如ク橋上貴賤の来往… 江戸情緒を尋ね日本橋界隈を歩くの報告 >>
■ ミュージアム・コンサートと
「シルクロ−ドの装い 〜パリコレに花咲いた遊牧民の美」展
2004年6月19日(土) 東京都庭園美術館
コンサートでピアノとフルートの演奏を楽しんだ後、中央アジア・シルクロード地域の伝統的な染織・衣装をパリの最新モードに取り入れた展示を鑑賞しました。
吉田紀子 『東京都庭園美術館訪問記』 >>
■ 名古屋ボストン美術館訪問と愛知万博見学
2005年5月28日(土)〜29日(日)
美術の会では名古屋ボストン美術館が開館してから一年おきに見学を計画し、翌日は名古屋近辺を探訪してきました。今年は4回目を迎え、万博にも足をのばしました。
篠崎和子 『名古屋ボストン美術館訪問』
酒井一郎 『第4回名古屋訪問』
■東京下町散策 2005年12月11日(日)
江東区清澄庭園をを出発点に、両国方面に向かって史跡を巡り,その後「ちゃんこ鍋」 を囲み本年の締めくくりとしました。やや寒い一日でしたが江東、墨東の地が近世 日本文化の形成に係わる深さを再認識する機会になったのではないでしょうか。ちゃんこ鍋屋近くの吉良邸前は市で賑わい年の瀬の風情で一杯でした。
東京下町散策報告 >>
■ 2003年名古屋ボストン美術館訪問・明治村見学 (5月31日〜6月1日)
美術の会では2年に一度名古屋ボストン美術館を訪問、展示を鑑賞するとともに、館長や学芸員の皆さんと交流を深めています。2003年は企画展「ボストンに愛された印象派」を開催中の同館を訪ね、レクチャーや鑑賞にひとときを過ごしました。夜は名古屋在住会員の皆さんのお世話で趣向を凝らしたミニコンサートなどを楽しみ、会員の親交を深めました。今年は、特別企画として明治村見学のプログラムも組むこともできました。
山崎規矩子 『名古屋ボストン美術館の旅』
■ マリ−・ロ−ランサン回顧展鑑賞会
2003年9月3日(水) 東京都庭園美術館
マリ−・ロ−ランサンの生誕120年と東京都庭園美術館開館20周年を記念して回顧展が開催されました。美術の会では9月3日に鑑賞会を催しました。
三好 彰 『マリー・ローランサン回顧展鑑賞会』 >>
佐藤花子、山崎 恒 『マリー・ローランサン回顧展鑑賞会に参加して』 >>
■浜離宮恩賜庭園見学会 2003年9月21日(日)
札幌ツアーからあっと言う間に1年余が過ぎてしまいました。ここらで少し江戸の文化を勉強したいと思い、今回手始めに東京都の特別史跡名勝の浜離宮恩賜庭園を取り上げて見ました。庭園見学後は隅田川を浅草へクルーズし、懇親会も行いました。
浜離宮恩賜庭園見学会報告 >>
参加者の声 (メーリングリストから) >>
■北海道札幌市訪問 2002年7月13日(土)〜14日(日)
クラーク博士の名はなぜ日本人の心に刻み込まれることになったのか。日本と米国ニューイングランドの交流史に関心を抱く歴史を飲もう会としては、この点を些か学習してみたいと以前から思い続けてきました。今般HOMASの全面的なご協力を得て、札幌訪問旅行として実現することが出来ました。また滞在中、HOMAS会員の方々との交歓も行い、旅行をより意義深いものにすることが出来ました。
旅行記・北海道ツァー >>
「ボストン美術館展鑑賞会」の中止のお知らせ
=>東京都美術館のボストン美術館展中止のため鑑賞会も中止します。
■京都旅行記
2018年 5月 30日/31日 (水/木) 担当幹事 三好 彰
昨年の総会の席で京都の離宮を見に行こうという話が出た。畏れ多いことだがその少し前にあった今上陛下のお言葉は多くの国民に好意的に受け止められていた。また明けて今年は明治維新から150年目という節目の年である。このタイミングで江戸時代に作られた皇室ゆかりの桂離宮と修学院離宮を見て、大政奉還の宣せされた二条城を廻るのも一興と考えた。
参観日は希望者の多い5月30日と31日となり、関東地区からの参加者は16名となった(参加者は文末に記す)。
■ 鎌倉 紅葉・古我邸レストラン・一条恵観山荘を巡る
2018年 11月 30日 (金) 担当幹事 酒井 一郎
美術と歴史の会は、11月30日(金)紅葉に包まれた鎌倉で実施しました。
1.鎌倉歴史交流館で鎌倉の歴史を遺産、出土品、映像等で学ぶ
2.歴史的建物、古我邸レストランでフランス料理を楽しむ
3.後陽成天皇の第九皇子一条恵観によって造営された建物と庭園(一条恵観山荘)
を散策・見学
4. 浄妙寺の喜泉庵で枯山水庭園を眺めながら、抹茶と菓子を嗜む
当日は、参加者が9名と少人数でしたが、晴天で気持ちの良い日和で堪能出来ました。
尚、素敵な写真と解説は小野田さんの「鎌倉紅葉散歩」冊子に記載されていますのでご覧頂きたいと思います。
「鎌倉紅葉散歩」(写真編集 小野田勝洋)
*注:上記本文及び写真集をご覧になるにはacrobat readerが必要です
■ 川村美術館見学記
2019年 5月 29日 (水) 担当幹事 三好 彰
美術通のある会員の方の提案で5月29日に美術と歴史の会で千葉県佐倉市にあるDIC川村美術館を見学した。DICは大日本インキ製造(株)と称していた会社だが、事業の幅を広げて社名を今様にしたようだ。歴代の会社幹部が美術の愛好家であり、そのコレクションがこの美術館の基になっているという。
参加予定者で不測のことが起こった人があったため参加者は10人であった(文末に参加者名を記す)。千葉県外の参加者は東京駅から乗り換え無しで同美術館に行ける一日一便のバスを利用した。
「川村美術館見学記」
*注:上記本文をご覧になるには、acrobat readerが必要です。
■国立西洋美術館の建物見学とボストン美術館至宝展の鑑賞
2017年 9月 27日(水) 担当幹事 三好 彰
まだ夏の日差しが残る9月27日の10時30分に、上野の国立西洋美術館本館の地獄の門の前で待ち合わせた。前日や当日に不測のことがあって参加できなくなった方があったのは残念だった。参加者は次の15名であった(敬称略、順不同)。
吉野耕一、吉野静子、山口靜一、土居嘉子、近藤百合子、
小野田勝洋、小野田富子、森裕子、
三好 彰、三好 美智子
三好 彰「世界遺産である国立西洋美術館の建物見学とボストン美術館至宝展の鑑賞」
■山口先生(当会員:埼玉大学名誉教授と巡る奈良1泊旅行記
2017年 5月 10・11日(水・木) 担当幹事 酒井 一郎
5月10日と11日に奈良の史跡を巡った。実は昨年の総会の席で山口静一会員が発議されたら賛同の輪が広がった。そして奈良在住の吉田礼子会員と京都在住のマイケル・ジャメンツ会員とご夫人の登三子会員からご支援の申し出があって実現できた。
関東地区からの参加者は順不同で、発案者の山口会員、吉野顧問、藤盛会長夫妻、俣野副会長夫妻、幸野会員、棚橋会員、吉田(博)夫妻と幹事団の篠崎夫妻、酒井夫妻および三好夫妻であった。そして現地会員として10日には吉田礼子会員とジャメンツ登三子会員が、11日にはジャメンツ会員夫妻が加わった。
10日昼前にJR奈良駅で落ち合って昼食。天気予報は雨模様で傘を忘れないようにとのことだったが雨雲が見えないのを幸いに三条通を歩き始めた。>>
■岡倉天心ゆかりの地・茨城県五浦訪問記 (東日本大震災後)〜
2014年 5月 20日(火) 担当幹事 三好 彰
岡倉天心が明治末に新しい日本画の活動の拠点とした茨城県五浦を平成26年5月20日に訪問した。参加メンバーは山口、吉野夫妻、俣野夫妻、幸野、吉田夫妻、棚橋、大浦(棚橋の友人)、森夫妻、篠崎夫妻、酒井夫妻、三好夫妻の18名(敬称略、順不同)。バスを借り切っての日帰りツアーであり、バスは東京・丸ビル前を定刻の8時に出発した。
岡倉天心およびその師であるフェノロサの研究家である山口静一会員が最近の天心研究をバスの中で解説された。それによると従来は天心一派の五浦移転は都落ちだというのが通説だった。しかし財政的な裏付けがあったし、何よりも大観らの作品が早い時期から高い評価を受けたことが示しているように意気に燃えた芸術拠点(日本美術院)だと見られるようになったという。>>
三好 彰 『岡倉天心ゆかりの地・茨城県五浦訪問記』